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「「潜在能力イデオロギー」の呪縛――格差に敏感になる理由 時代相2008 第13回」

『北海道新聞』夕刊、2008.1.25. 7頁.

 

橋本努

 

 

 ここ数年、「格差社会」が大きなテーマとなっている。所得格差の拡大は、しかし一九八○年代からの傾向であって、最近になって急激に悪化しているわけではない。また最近の格差拡大は、主に人口の高齢化によるものであって、三十代から五十代の世帯主の所得不平等度は、ほとんど変化していない。にもかかわらず、人々は格差に対して敏感になっている。これはいったい、なぜなのだろうか。

 その理由を私なりに考えてみると、「潜在能力イデオロギー」という観点から説明できるかもしれない。私たちはたとえば、「ワーキング・プア」の生活を憂慮する。けれども反対に、「フリーター」や「ニート」に対しては、道徳的に非難することがある。低所得の人々は、総じて人生に対する意欲が低く、やる気がないからダメなのだ、と蔑視(べっし)する論者たちさえいる。

 低所得層をめぐるこうした憂慮や非難は、しかし、同じイデオロギーに基づいているだろう。現代社会においては、意欲をもって潜在能力を開花させることが「よいこと」であって、しかし低所得では「意欲を削(そ)がれてしまう」という考え方である。格差社会の「負け組」を憂慮する人も非難する人も、潜在能力を実現することが大切とみなしている。この認識にもとづいて、「勝ち組」は自己実現しているが、「負け組」の人たちは潜在能力を開花させていないのでかわいそう、というわけである。

 こうした考え方は、どこまで正しいのか。例えば、経済的に成功した人たちは、本当に潜在能力を開花させているのだろうか。

 「労働生産性」の観点からみると、日本は主要先進七か国のなかで、一九九四年以降、なんと十一年連続で最下位である。しかも一九九五年以降の十年間で、日本では長時間労働者の比率が増えており、その割合は二八・一%と世界一となっている。日本ではつまり、労働生産性が伸び悩み、企業の収益については、これを長い残業時間で補っているのが現状である。

 さらに「給与所得」の推移に注目してみると、ここ数年、日本では二百万円以下を除くほとんどの階層で、給与所得の割合が低下している。「勝ち組/負け組」などというが、所得の二極化が進んでいるわけではない。むしろ驚くべきは、ほとんどの人が勝っていないという事実である。低所得層だけでなく、高所得層もまた、努力が報われていないのだ。

 こうした焦りから、私たちは無意識のうちに、自分よりも生産性の低い人たちを、批判したり憂慮したりするのではないだろうか。その典型は、ニート批判であろう。「ニート」とは、十五〜三十四歳で、仕事も通学も家事もしていない人をいう。その数は二○○二年以降、しだいに減少してきた。ところが人々は、それでもニートを批判する。人々は、意欲のない者や自身の潜在能力を試さない者を、ますます軽蔑(けいべつ)するようになっている。

 人はしばしば、自分の欠点を直視せず、自分よりも欠点の多い人を批判するものである。潜在能力の開花が重要だと分かっていても、それができなければ、人は自分よりも弱い者をバッシングしたり、憂慮したりするだろう。「格差社会」の本質は、自分が「潜在能力イデオロギー」の要請に応えていないというストレスを、自分よりも下層の人々に投影するという構造から生じているのではないか。あるいは人々は、下層の人々の生活を真剣に憂慮するのではなく、むしろかれらの生活を観察することによって、現在の自分の姿を慰めているのかもしれない。

 高度成長期の日本社会においては、所得の水準が全般的に上昇するなかで、誰もが「ワンランク上の生活」を目指して努力することができた。誰もが「一つ上」をめざすという、「エミュレーション」の競争に導かれていた。ところが、給与所得が全般的に低下する現代社会においては、エミュレーションとは正反対の、貶斥(へんせき)の作用が働く。人々はもはや、これ以上努力しても、ワンランク上の生活を目指すことができない。だから人々は、自分よりもランクの高い人々を妬(ねた)み、あるいは自分よりもランクの低い人を貶(けな)したりするわけである。いずれも私たちが、自らの潜在能力を十分に開花させて経済を牽引することができないという、「後ろめたさ」から生じた心理であろう。潜在能力を自由に発現していかないかぎり、私たちはこのイデオロギーの呪縛(じゅばく)から、逃れることができないのかもしれない。

 

 はしもと・つとむ 北大大学院経済学研究科准教授。1967年、東京生まれ。東京大大学院総合文化研究科課程博士号取得。専攻は経済社会学。著書に「自由に生きるとはどういうことか−戦後日本社会論」(ちくま新書)、「帝国の条件」(弘文堂)、「社会科学の人間学」(勁草書房)、「自由の論法」(創文社)など。